管理職になってから、
「こんなはずじゃなかった」と感じたことはありませんか。
一般職の頃は、
どれだけ努力したか、どれだけ現場を回したか、
そうした“過程”も一定は評価されていたように思います。
ところが管理職になると、
評価の軸は驚くほどシンプルになります。
成果が出たかどうか。
それだけです。
どれだけ忙しくても、
どれだけ考えて動いていても、
結果が出なければ評価は上がりません。
説明責任を求められ、
再現性を問われ、
言い訳は通用しない。
その現実に直面して、
「自分は管理職に向いていないのではないか」
そう感じた人も少なくないはずです。
成果だけを求められる立場になって、初めて分かったこと
管理職になってから、
「成果」という言葉の重さが、明らかに変わりました。
一般職の頃は、
忙しさや責任感、
真面目に取り組んでいる姿勢も、
それなりに評価の対象になっていたと思います。
しかし管理職になると、
それらはすべて前提条件になります。
忙しいのは当たり前。
責任が重いのも当たり前。
考えて動くのも当たり前。
その上で、
「で、結果は?」
この一言が返ってきます。
数字や成果が出ていなければ、
どれだけ過程を説明しても、
どれだけ苦労を語っても、
評価の場ではほとんど意味を持ちません。
正直、この変化はかなりのプレッシャーでした。
結果が出なければ、
次に待っているのは評価面談や説明の場です。
そこでは、自分でも分かっています。
「頑張りました」は使えない。
成果が出ていないという事実だけが残り、
その責任は、最終的に自分に返ってきます。
管理職になって初めて、
成果で評価される立場に立たされた
その実感を、はっきりと持ちました。
これは、慣れれば平気になる、というものでもありません。
今でも正直、楽ではないです。
「向いていない」のではなく、戸惑っているだけかもしれない
成果が出ないと、
多くの人がこう考えてしまいます。
「自分の努力が足りないのではないか」
「やり方が間違っているのではないか」
「そもそも、管理職に向いていないのではないか」
私自身も、何度もそう感じました。
ただ、今振り返って思うのは、
それは能力や覚悟の問題ではなかったということです。
一般職の頃と同じ感覚で頑張ろうとして、
同じ物差しで評価されると思ってしまった。
そのズレに、
うまく言葉を与えられていなかっただけだったのだと思います。
まとめ:この違和感は、異常ではない
管理職になると、
成果に対するプレッシャーからは逃げられません。
頑張っているのに評価されない。
忙しいのに、手応えがない。
正解が分からないまま、判断だけを求められる。
もし今、そんな違和感を抱えているなら、
それは決しておかしなことではありません。
それだけ、
「評価される側」から「評価される立場」へ
確実に踏み込んだということだからです。
この違和感の正体については、
もう少し整理して、別の記事で掘り下げていきます。
まずは今日は、
「自分だけじゃなかった」と思ってもらえれば十分です。


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